かえりみち


                           
 空がゆっくり茜色に染まってゆきます。
 開発から取り残された薄野原も黄金から赤銅へとその色を変えてゆきます。
 遠くからは鐘の音。
 少年は独りきり。

みんなどこへ行っちゃったんだろう……。
その少年、彰は思います。
さっきまでそこにいたはずなのに。……先に帰っちゃったのかなぁ。
ぼうっと彰は考えながら、思考に見合ったゆっくりとした動作で
辺りを探しはじめます。
でもぼくのかばんまで持って行っちゃったのかな。
この辺りだったと思ったんだけど……。
やっぱりないなぁ。
一通り探し終わった後、溜息をつきながら思います。
けんちゃんかな、こういう事するのって。
どうやって鞄を返してもらうかに考えが移った彰の隣を、ふと風が行き過ぎます。
彰にはその風に乗って誰かの歌声が聴こえた様な気がしました。
まだ誰かいたんだ。
慌てて立ち上がります。
こっちの方だったよね?
彰は歩き出します。
 
どこにいっちゃったのかな? あっちの方だったのかなぁ。
……それにここってこんなに広かったっけ? 
行けども行けども途切れる事の無い薄野原に彰は不安を覚え、立ち止まります。
あの歌声はもうちっとも聴こえて来ないし、
今自分がどこに居るのかも良く判らなくなって来ました。
空は一面の紫。彰が今の自分の位置を確認しようと背伸びをしかけた時です。
「誰か其処に居るの?」
がさり、と薄の壁が割れ、男の子の顔が覗きます。
彰は驚いて座り込んでしまいます。
「あ、えと……」
知らない子だ……。
少々人見知り気味の彰は巧く言葉を発せません。
それをどう受け取ったのか、
「君も還る途中? ねぇ、良かったら一緒に行かない?」
少年は楽しそうな口調で訊きます。
「えと、……うん」 
近くに住んでる子なのかな? ぼくが知らなかっただけかなぁ。
「あ……、名前……」
彰は小さな声で、しかし彼としては精一杯の声で尋ねます。 
「僕の名前? 僕は……綺羅、だよ」
「きらら……?」
「そう。君は?」
「えと、彰……」
「ふぅん」
何か、悪い事言ったかな。
そっけない返事に彰は不安になります。
切りの無い考えに沈み掛けていた彼の目の前に、にゅう、と手が出されます。 
……あくしゅ?
恐る恐る握り返すとぐい、とすごい力で引っ張られます。
「何時までそんな処に座ってるつもり?」
「えっと……、ごめん」
困った様な、情けない声で彰は謝ります。ふぅ、綺羅は溜息をつき、
「まっ、どうでも好いけど。時間は大丈夫な訳?」
時間……? 時間って、あぁっ、もうこんなに暗くなってる。
彰の頭に怖い怖いお母さんの顔が浮かびます。
気配を察したのでしょうか。綺羅が言います。
「急がなきゃなんだね。まぁ、行こうか」

彰は淀み無く歩く綺羅の背中を追いかけます。
もう随分歩いた筈なのに、薄野原はまだ何処まででも続いて行きそうです。
それをおかしいと思う感覚も薄れ、ただひたすらに前へと進みます。
置いて行かれないように。独りきりにされないように。
暗い空に深い大地の藍。
それは彰にとってあまり優しいものではなくて。
その中で唯一薄い星の光だけが、綺羅の髪の毛を淡く照らし、
彰を文字通り導いてくれました。
その揺れる光を追いながら、ふと、彰は思います。
むしろ思い出したと云っても良いでしょう。
「ねぇ、きらら」
「何?」
前を向いたまま綺羅は応えます。
「僕らはどこに向かっているの?」
そうなのです。彰はただ自分の家に帰りたかったのです。
ですが、いつの間にかそんな事は忘れてしまっていて。
こんな遠くまで彼に付いて来てしまいました。
「何処って……何をいってるのさ」
「えっ?」
「ほら、やっと着いた」
最後の一掻きといわんばかりに綺羅は勢い良く腕を動かします。
彰も転がる様に後を追います。
「う、わぁ……」
彼らの目の前にはどっしりとした山が鎮座ましましていました。
細い小径があり、仄かな灯りと共に何処までも続いています。
「すごいねぇ」
ほてほて綺羅に近寄りながら彰は感嘆の声を上げます。
「ねえ、きらら、ここは……」
「……やっと還って来れた」
ぼうっと綺羅に話し掛けようとして、彰は慌ててしまいました。
なぜなら揺れる薄明かりの中、そう言った綺羅が泣いている様に見えたからです。
「き、きらら、どうしたの?」
「どうしたって、彰は嬉しくないの?」
「えっ、えっ、嬉しいって……」
うれしい時って泣くものなの? 
「やっと還って来れたんだよ? 嬉しくない筈が無いじゃないか!」
「ええと、あ、ねぇ……だい、じょうぶ……?」
彰にはいまいちさっぱり訳が判りません。
只一つだけ確かな事は、やっぱり自分の家とは全然違う方向に来てしまった、
と云う事だけです。
こんな山が近くにあったらいくらぼくでも知ってるはずだもん。
でも、なんでそんなに嬉しい? の、かな……。
あのお山の中にきららのお家はあるとか? 
……でも、なんか、違う、よねぇ……。
彰がそんな事を思っていると、直ぐに気持ちを落ち着けたらしく、
元の声で綺羅が話し掛けて来ます。
「彰って結構淡白だったんだね」
「えっ?」
「ん、何でも無い。行こう」
微笑んで再び手を差し出す綺羅。
彰は困ってしまいます。
てっきりお家に帰るんだと思ったのに。どうしよう……。
「如何したの?」
「僕、行けないよ」
「如何して?」
「……お家に帰らなきゃ、だから」
「おうち?」
ははっ、綺羅は渇いた笑い声を上げます。
「まだそんな物にしがみ付いて居たの? だからか、そんなにぐずぐずしてたのは。
残念かも知れないけどね、僕達にはもう帰る家なんて無いんだよ。
後はあの山に還るだけ」
「どうして?」
彰は驚きます。ぼくそんなお家に帰れないほど悪い事したっけ?
見る見る間に彰の目に涙が溜まります。
「如何してって、……如何して君こそ今頃泣くの?」
「だって、そんな、お家に……お家に帰れないなんて」
何が何だか判らなくなって、泣き出してしまった彰を
じっと見詰めて居た綺羅は"処置なし"とでも云う様に首を振り、
「いいよ。帰りたければ帰れば。どんな事になっても僕は知らないけどね」
それだけ云うと彰を置いてさっさと歩き出してしまいました。
「あっ、待って、待ってよきらら」
綺羅は立ち止まりも振り返りもせず、
縋る様な彰の声は空しく虚空に吸い込まれて行くだけでした。





「彰……、おい彰ってば、風邪ひくぞ、ばか」
彰は自分を呼ぶ声で目を覚まします。
「えっと……、けんちゃん? ふぁ、おはよう」
欠伸を交えて彰は云います。
「おはようじゃないだろ、おはようじゃ。今は夕方だっての。
ったく突然母ちゃんが呼びに来たと思ったらマイカが死んだって言うし、
お前はお前でちょっと目を放したすきにいなくなりやがるし。ずいぶん探したんだぞ?
こんなとこでのんきに寝てやがって」
えっ? けんちゃん? 夕方? なんでぼく、あれれ?
彰は慌てます。確かに此処はいつもの土手。空は夕焼けの赤。普段の夕方です。
ほんとだ……ぼくそんなに長く寝てたのかなぁ。ん、マイカって?
「ねぇ、マイカって……」
「あぁ? うちの猫だよ、うちの。あの生意気な」
彰は必死に想い出そうとしましたが、どうやら覚えが無い様です。しかし、
「……死んじゃったの?」
「そうだよ。車にひかれてぺったんこ。
母ちゃんは庭に埋めてやりたいけど触れないからとか言っていちいち俺呼ぶし。
途中で変なババアには会うしさ」
憎々しげに云います。
余程厭な事が在ったのでしょうか。
「『其の子は迷わず還れたかねぇ』だってさ。そんなの俺が知るかよ。
あぁ、思い出すだけで薄気味わりぃ」
ぶるっと身震いして見せます。
「おい、それよりさっさと帰るぞ」
「えっ?」
「えっ、じゃねぇよ。ほら」
取り落としそうになりながらも何とか受け取リます。
何の事は無い、それは彰の鞄でした。
どうなってるんだろう……。そんなに時間がたって、ないのかな?
彰は混乱した頭ながら何とか思い出そうとします。
えっと、昨夜はきららにおいていかれて……、ひとりで暗くてこわかったけど、
やっぱり後は追えなくて、でもひとりであのすすき野原に入るのもいやで……。
そのまま寝ちゃったんだよねぇ。
おっかしいなぁ……。 
「ねぇ、けんちゃん」
「何だよ」
「あのさぁ、今日って金曜日?」
ひうっと冷たい風が通り過ぎます。
「おまえ、大丈夫?」 
「えっ?」
「いつものことだけど、お前ボケすぎ。ちなみに今日は木曜日です」
ぴん、けんちゃんこと研一は彰の額にでこぴんをかまします。
「なっ、何するんだよぅ」
今更な防御をしながら彰は言います。
「彰の頭を活性化してあげただけでーす」
「けんちゃん、ひどい」 
「ほら、みんな待ってるんだからな。行くぞ」
彰の頭を綺羅の横顔が過ぎります。
「うん……」



















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