空の蒼
空の蒼が……い。
そうボクが云った。
空なら、そこにあるだろう?
そう僕は応えた。
そうじゃない、あんな遠い空じゃボクの手は届かない。
空の蒼が欲しいんだ。空の蒼、あの蒼が欲しい。
なんて云う我が侭だろう。
でもそれは明らかに僕の中のボクで。
朝昼夜構わず纏わり付いて離れない声。
蒼が欲しい蒼が欲しい蒼が欲しい蒼が欲しい蒼が……。
うるさくて叶わない。
仕方なく、色んな絵の具を買ってみた。
チューブを捻って、押し出す。
違う、こんなのじゃない。
色鉛筆、クレヨン。カメラも買った。
違う、違うんだってば。
色を混ぜる。
よく見てよ、キミにはあのソラが見えないの?
少しでもそれらしく見えるよう、色を重ね、
重ね、……重ね続けて、絵になった。
キャンパスを埋め尽くす、空の蒼。
否、まだこれは空じゃあ、無い。
空が遠いんだよ、ねぇ、どうして届かない?
そんなの知る訳無いじゃないか。
それでも僕は空を描く。
空、その下に広がる世界。
日常。人々。町並み。
空。蒼いだけじゃない、赤い夕焼けの空も。
空。夜の空。月明かり。星の光。
僕は描き続ける。
それでも届かない、空の蒼。
青、碧、アオ、あお。
海も描いた。森も描いた。
飛沫く波の息づかいを。
揺れる木立、葉擦れの音も。
僕は描く。飛行機雲、レンズ雲、入道雲。
雨の縦糸。乱暴な夕立。水たまりに映り込む空。
描き続ける。でも、届かない。
……そのうちボクは静かになった。
まるで死んでしまったかのように、吐息さえ聴こえない。
それでも僕は絵を描き続けた。
憑かれたように。……きっと実際に憑かれていた。
ソラ、空、そらばかり。
人は嗤った、
何故今になってそんな絵を描くんだい?
キミの絵は昔の方が良かったよ?
今はただ青く塗りたくるだけで……。
そんなの絵とは呼べない。
判ってるんだろう?
……判らないね。僕が描きたいのは空だ。
空の蒼なんだ。
他はいらないと判ったんだ。
何を描いても、空には至らない。
もっと高い処に行きたいんだ。
連れて行きたいんだ。
もっと高く、高く、蒼く、誰も行ったことのない所に。
ソラ、そら、空……。
ある日、僕はそれと出逢った。
美しい、美しい、空の蒼。
嵌め込んだ瞳。
恋をした。
僕が? それともボクが?
あんなにも焦がれていた空。
すぐ傍に、今そこに、ある。
でも、届かない。
触れられない。
なんて事だ。
距離とは空間的なものではなかったのか。
近づきたい。近づけない。
ああ……何故遠くにあったあの頃よりも辛く、苦しいのだろう。
見る度に胸がざわめく。
それでもまた垣間見たいとそっと近寄って。
ああ、隠さないで、その蒼を。
ずっと……ずっと……。
僕は絵を辞めようとした。
総てを捨てて、彼女だけ愛そうと。
しかし、それを止めたのも彼女。
美しいモノが好きな彼女。
彼女はボクの絵を好きと云ってくれた。
アナタの絵が好きよ、と。
アナタの絵を見たから、私はここに来たのよ?
優しい絵。……でも、今は違うのね……?
僕の空がそれを望むなら。
僕はまた、様々なモノを描くようになった。
僕の空はそれを見守る。
すぐ傍で。手を、伸ばせば届く処で……。
ある日、僕らは公園に出掛けた。
僕はそこでも絵を描く。
彼女はその隣でじっと、黙ってそれを見ている。
なんて滑稽な姿。
なんて素晴らしい愛。
思わず僕は絵筆を置いて彼女の瞳に口づけていた。
その途端、
急に世界は色を変え、
時を止め、
響く、ボクの声。
やっとやっと手に入れたボクの空。
ボクだけの空。
もう放さない。もう、もう二度と。
ボクだけの。イトシイイトシイソラノアオ……。
そうして僕は
光 と 共に 総て を 失った …… 。
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